花輪理事長の独り言
農園ホテルにて第11回当院医療連携会を開催しました。
久喜秩父市長はじめ医師会および歯科医師会の先生方、圏内医療機関のスタッフの方々、市会議員の方々、秩父市、保健センターの方々、秩父消防の方々、秩父看護専門学校他多数の関係各位の方々にお出で頂きました。圏外よりは総合医療センター、県立循環器呼吸器センターからもお出で頂き、総勢168人、有意義な連携会が出来ました。
心より御礼申し上げます。
~プログラム~
挨 拶
「昭和を振り返って・そしてこれからの秩父の医療の展望」
院長 花輪 峰夫
1)実績報告
歯科部長 長谷川 義朗
外科部長/内視鏡センター長 大野 哲郎
2)特別講演
座長 秩父病院副院長 坂井 謙一
「冠動脈カテーテルインターベンション~過去から現在~」
演者 埼玉県立循環器・呼吸器病センター
副院長 武藤 誠 先生
院長挨拶
昭和を振り返って・そしてこれからの秩父の医療の展望
本日は当院連携会に多くの方々にお越し頂き有難うございます。心より挨拶御礼申し上げます。
新しい元号に変わったこの機会に当院の医療連携の歴史を振り返って見たいと思います。
明治20年、当院の初代病院の開院式に埼玉県知事代理が祝辞として述べられた原稿が残っていました。これには、東京横浜間に数日を要したが今や1日にして往復可能となった、コレラがはやった、等々が述べられ、最終章に「願わくば当院を永遠に維持し郡内開業委員と相互に気脈を通じ持って公衆の信用を得、地域住民の身体健康の目的を果たすことを期待する」とありました。
正に明治20年にはすでに医療連携が叫ばれていたのです。
お手元の秩父病院だよりをご覧ください。この建物は大正時代に建てられた2代目の病院です。昭和12年、父が秩父に来た経緯とその頃の様子を載せました。
ここに書きましたように私の父、花輪吉夫は昭和12年に本人も予期しない経緯、「お前を秩父にやることにした」の一言で、突然秩父に来ることとなり、結果的に3代目秩父病院院長となりました。当初は医局の派遣医であったのです。
私が小学生の頃、当院では、よく医者達が徹夜麻雀をやっていました。夜間救急に備え、4人のメンツ待機していたのです。メンバーは外科、内科、婦人科等、大勢の医師会の先生方がいました。これは私が医者になってからも、続いていました。医療連携は今より緊密だったかも知れません。旧病院の隣には、高山歯科医院があり、口腔外傷ではよく父と高山先生が一緒に手術をしていました。私は医者になってすぐに、二次救急当直医として秩父病院に勤務しましたが、その頃より、整形外科は三上哲先生、婦人科は田中重次先生、岩田充先生、肛門外科は松田直行先生が当院に来て下さって、ご指導をいただきました。その後も同期の近藤俊夫には婦人科手術のご指導、奥野豊先生には、お互いの病院で何度も一緒に手術や麻酔をやらせて頂きました。帝王切開があると、婦人科の先生方が集まり助け合っていたと思います。私も麻酔医として何度も産科医院に出向いたものです。もちろんこの「助け合い」の流れは平成から令和になっても続いております。当院は開放型病院でもあり、片田、新井、金子幸夫・真美子先生、本間、岡部、石郷岡、船生、三上、原、水野、南須原の各先生方に専門外来や手術、当直、内視鏡をお願いしており、その他にも今日おいで頂いている多くの医師会の先生方に小児救急等で助けて頂いております。また当院では常に後方支援者と病院がありました。父の時代は新潟医大、当時唯一の手術書であった「新しい外科手術」の著者で、著名な外科医、慶應大学の井上雄先生、叔父の出身の東邦医大、私の母校の日本医大、恩師の田中映呉先生は、大きな手術には必ず来て指導して下さいました。片田、新井、水野先生の母校である聖マリアンナ医科大学からは、多くの外科教授に直接のご指導を頂きました。現在は埼玉医科大学、日本医科大学、群馬大学、県立循環器呼吸器センターであります。
さて、時代は流れ、平成を飛び越え令和、私の考える将来の秩父地域医療の展望をお話しします。
私の医者人生は半世紀にならんとしています。20年前までは、婦人科、整形外科を含め外科系と言える手術は、臓器に関係なくやって来ました。扱った手術は万を超えるでしょう。この間に医療は大きく変わりました。特にこの10数年は激変と言えるでしょう。医療は進化、専門特化しました。個人的には、少し残念ではありますが、私自身の扱う手術の範囲も大幅に縮小しました。20数年前、心筋梗塞は医者も患者さんも家族も死ぬ病気と思っていましたが、今は違います。脳卒中の治療も、今では迅速に治療すれば後遺症を残さないレベルまで来ました。一方で秩父地域は、これらの疾患に十分対処できず、将来も難しいと思われます。
国は地域医療計画の基、それぞれの地域での病院の役割分担を求めています。先日、全国で1652ある公立・公的病院の内、三割弱に当たる424病院を「再編・統合が必要」として公表しました。効率化、集約化は国の政策として確実に実施されるでしょう。
ただ、私はこれを決して悪いこととは思っていません。患者さんにとって全国水準の医療を受けられることは素晴らしいことであり市民の権利とも言えます。
今、当地域の医療を、患者さんの立場に立って考える時、我々医療者がはっきりと認識しなければならないことがあります。
それは地域で出来ないものと出来るもの、あるいは地域の方が良いものをしっかりと自覚することであります。
地域で無理な場合は、より早い高次医療機関への搬送こそ重要で、より緊急を要する疾患の場合は、地域内の二次救急病院等を経ない直接搬送がベストです。これは現在、実際に行われており、大きな効果をあげております。埼玉県では、今年度より脳卒中ネットワークシステムが整備され、収容医療機関が機能別に公表されました。将来的には心筋梗塞を始め、疾患別のシステムが整備されて行くでしょう。現状の二次医療圏にこだわらない、より広域的な対処が必要です。
次に地域でできるもの・その方が良いものについて私の考えをお話しします。
市民の多くが、地元での治療を望んでいることは確かです。この実現へのキーワードは医療連携です。地域の医療機関がそれぞれの役割を果たし、全体として総合病院の機能を持つことが理想です。秩父は他と比べ伝統的にこれが秀でていると思っていますが、この会がさらにこの絆を強くするきっかけになれば幸いです。
次に管外との連携についてですが、専門医を招き地域で診療や手術をしていただくことも重要です。今日ご講演を頂く県立循呼センター副院長の武藤先生と松尾先生の循環器外来、墨先生の血管外科外来、埼玉医科大学国際医療センターの畝川教授の癌化学療法、佐伯病院長の乳腺外来、埼玉医科大学病院の形成外科、山口教授からの大腸腹腔鏡手術のご指導等々です。現在まで、埼玉医大と日本医大からは外科、内科、救急、放射線科等より多くの医師の派遣と援助を頂いております。
市民の要望が有る限り、少しでも地域で治療することを諦めるわけには参りません。
次に、当院でできるもの、当院の方が良いものについてですが、これは次の実績報告で大野外科部長と長谷川歯科部長がお話しします。
ただ、一つだけ、仮に私が心筋梗塞になったら、救急隊に「秩父病院に連れて行ってくれ」とは言いませんが、急性腹症と自分で診断したら、迷わず当院に行くよう指示します。消化器癌になったら、当院で手術をやるつもりです。それが一番安全と思うからです。
最後に、地域でしか出来ないもの、やるべきものを指摘します。それは検診と予防の啓蒙と実践であります。これは行政、医師会、医療機関、市民が一体となって行わなければなりません。当院も今後、疾病予防医療に全力で取り組んで行きたいと考えています。
少し長くなりましたが、令和に入ったこの機会に、温故知新の精神で昭和を振り返り、秩父地域医療の今後の展望について私見を述べさせて頂きました。
お集まりの連携機関の皆様と関係各位の皆様に心より御礼申し上げ、ご挨拶に代えさせて頂きます。
本日は本当にありがとうございます。
実績報告
歯科部長 長谷川 義明
外科部長/内視鏡センター長 大野哲郎
来月(2019年11月14日)高知で行われる第81回日本臨床外科学会総会に演者の依頼がありました。今回のセッションもまた、総会特別企画「地域医療を考える:今何が問題か?」です。
私は「臨床外科医を育てるための地域病院の役割」の演題で話す予定です。
私が地域医療について学会でお話ししたのは2015年の第40回外科系連合学会学術集会が最初で、この時はシンポジウムの指定演者兼座長として参加しました。この時のテーマは「外科系診療を取り巻く社会的問題」で私は「極端な専門医志向の弊害と対策・地域病院の役割」と言う演題でお話ししました。機能的医師不足、医師の地域および診療科偏在、若手医師教育の欠陥を指摘し、当院の実際の若手医師教育の取り組みを紹介しました。
2017年の第117回日本外科学会定期学術集会でも特別企画「今こそ地域医療を考えるー都市と地方の外科医療と外科教育の格差を解消するにはー」に指定演者として発表「研修医の視点に学ぶ格差解消への模索と地域医療の役割」と言う演題で話しました。
先ず、格差の元凶は医師の地域偏在と診療科偏在であると指摘しました。当院で地域医療を研修した研修医達の感想文(レポート)を分析し、その原因を探りました。そして都市と地方、大学病院と地域病院の格差と言うより、その違いにヒントを見つけました。結果、彼らが地域医療の実態と魅力を全く知らなかったことに驚き、同時に外科医不足・外科不人気の理由が現状の大学病院等の若手医師教育にあると確信し、早い時期から地域医療に触れることの重要性を強調しました。さらに、指導陣の資質と意識改革の必要性も指摘しました。
今度の高知での日本臨床外科学会総会の発表で、私は学会発表を最後にしようと思っています。臨床外科という言葉、その響きは私には快いものです。私は外科医であり、それ以上でも以下でもありません。臨床外科医を目指し、それを意識し、外科と名のつくものはこの半世紀の間、何でもやってきました。医者になって2年目、大阪で開かれた日本臨床外科学会に初めて参加した時のことが思い出されます。IVH、ERCP、PTC・Dに関係する演題が大変多かった記憶があります。この全てをマスターすることが新米外科医である私の最初の目標でした。
今、同じ学会の指定演者に指名され大変光栄であると同時に感慨深いものがあります。今痛切に感じていることを私の身の丈にあった言葉で訴えようと思っています。
以下に抄録を紹介します。
臨床外科医を育てるための地域病院の役割
近年の外科医療の変化は著しく、極端に専門特化され、手術は多くのデバイスを使用、何 でも鏡視下手術の様相である。一方で、医師の地域・科別偏在は顕著で、地域外科医不足 は地域医療崩壊すら危惧される。当院は新臨床研修制度発以来、地域医療研修として 170 名を超える初期研修医を受け入れている。彼らとの触れ合いを通じ、多くの驚きを体験し、 教訓を学んだ。この中から1外科医不足の原因2現状の若手医師教育の欠陥3地域医療研 修の重要性について提言し、具体策にも言及する。 「もっと外科らしい外科をやりたい」そう言った彼らの多くは救急科や形成外科に進んだ。 外科不人気の理由の幾つかを確認した。「アッペって開腹するのですね、こんなにすぐ終わるのですか」私にとって驚愕の言葉であった。地域医療で求められる臨床外科医が、現状 の教育方針で養成されるとは到底思えない。指導者の認識と資質にも苦言を呈したい。医 療の進歩に隠れた落とし穴、先進を追いかけ過去・経緯・基礎を知らず、問診・触診の前 に CT、臓器を見て人を見ず。手縫い縫合も糸結びも、クーパーやペアン・コッヘルの使い 方、手術の意味と手の感覚を知らない、あまりにも狭い視野と守備範囲しか持たない人は 臨床外科医とは言えない。かつて大学医局と地域病院間の若手医師の循環が多くの優秀で 全人的視野を持った臨床医を育てた。将来を見据え、今こそ地域病院研修の重要性とその 役割を再認識する時であろう。
1 ~ 2件 / 全2件